小さく動くことができない本当の理由

行動できない理由 行動できないとき

「大きな一歩じゃなくていいから、まずは小さく動こう」。
そんな言葉を、きっと何度も目にしてきたと思います。
頭では理解しているし、理屈も納得できる。それでも実際には、その「小さな一歩」すら踏み出せない。
そんな自分を見て、「自分はダメなんじゃないか」と感じてしまう人も少なくありません。

けれど、最初に伝えたいのは、それはとても自然なことだということです。
小さく動けないのは、あなたの意志が弱いからでも、怠けているからでもありません。むしろ、ちゃんと考えてきた人ほど、そこで立ち止まりやすい傾向があります。


小さく動けない理由は「性格」ではない

よく「完璧主義だから」「臆病だから」と理由づけされがちですが、少し視点を変えてみましょう。
小さく動けない背景には、いくつかの要因が重なっています。

ひとつは、「小さく見えない」という感覚です。
本人の中では、その一歩が決して小さくない。失敗したらどうなるか、続かなかったらどう思われるか、そこまで一気に想像が広がってしまう。結果として、心の中では“軽い行動”ではなく、“重たい決断”に変わってしまいます。

もうひとつは、「やり直せなさ」の感覚です。
一度動いたら後戻りできない、方向を間違えたら修正できない。そう感じていると、小さな行動も“取り返しのつかない選択”に見えてしまいます。

これは性格の問題ではなく、考える力が働きすぎている状態とも言えます。


問題は「動けないこと」ではなく「前提」

多くの場合、問題は行動そのものではありません。
行動の前に置いている前提条件が、知らないうちに厳しくなっているのです。

・意味のある一歩でなければならない
・ちゃんと続く形で始めなければならない
・誰かに説明できる理由が必要

こうした前提があると、「小さく動く」は成立しません。
なぜなら、それはすでに“成果を含んだ行動”だからです。

ここで大切なのは、正解を探すことではなく、判断軸を少し緩めることです。
「これは意味があるか?」ではなく、「これは取り消せるか?」
「正しいか?」ではなく、「試しても壊れないか?」
そんな問いに置き換えてみるだけで、見え方は少し変わります。


多くの人は「途中」で止まりながら進んでいる

表に見えるのは、結果が出た話ばかりですが、実際はほとんどの人が途中で止まり、迷い、引き返しています。
ある人は、始めてみたものの数日で手が止まり、「やっぱり違うかもしれない」と感じる。
別の人は、小さな行動をしたあとで、思った以上に疲れてしまい、距離を取り直す。

それでも、それらは失敗ではありません。
途中で立ち止まること自体が、「動いた証拠」だからです。

多くの人が語らないだけで、進み方はとても不格好で、一定ではありません。
進んで、止まって、少し戻って、また考える。その繰り返しです。


行動は「前向き」じゃなくていい

最後に、まとめとしてひとつだけ。
行動は、前向きな気持ちから生まれなくても構いません。
不安なまま、迷ったまま、納得しきれないままでも、1mmだけ動くことはできます。

その1mmは、誰かに見せる必要も、評価される必要もありません。
「今日はここまででいい」と区切れる余白を残した行動で十分です。

小さく動けない自分を責めるより、
「ここまで考えてきた自分がいる」という事実を、静かに認めること。
そこから始まる1mmは、決して小さすぎるものではありません。

無理に前を向かなくていい。
ただ、立ち止まった場所から、足の裏を少し動かすだけでいいのです。

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