はじめに:そのまま立ち止まってしまう感覚は、自然なこと
「やらなきゃいけないことは分かっているのに、体が動かない」
「周りは進んでいるのに、自分だけ止まっている気がする」
そんなふうに感じる日が続くと、自分を責める言葉が頭の中に増えていきます。
怠けているのではないか、覚悟が足りないのではないか、と。
でもまず伝えたいのは、動けなくなる感覚そのものは、特別なことでも、異常なことでもないということです。
人は不安や迷いを抱えたまま、いつも一定の速度で進めるわけではありません。止まる時期があるのは、とても自然なことです。
悩みの正体を分解する:性格や努力不足の問題ではない
動けない状態にいると、その理由を「自分の性格」や「努力不足」に結びつけてしまいがちです。
けれど、少し視点をずらしてみると、別の要素が見えてきます。
たとえば、
- 情報が多すぎて、どれを選べばいいか分からない
- 失敗したときの想像が先に膨らみすぎている
- 過去に無理をした経験が、無意識にブレーキをかけている
これらは意志の弱さではありません。
むしろ「これ以上傷つかないようにしよう」とする、心の防衛反応に近いものです。
動けないのは、何も考えていないからではなく、考えすぎてしまうほど、真剣だからという場合も多いのです。
考え方・視点の整理:正解ではなく、判断軸を持つ
「どうすれば動けるようになりますか?」という問いには、はっきりした正解はありません。
ただ、少し楽になる判断軸はあります。
それは、「動けるかどうか」ではなく、
**「今の自分は、どのくらい余白があるか」**を見ることです。
疲れ切っている状態で前向きな決断をしようとすると、どんな選択も重く感じます。
逆に、気力が少し戻っていると、同じ状況でも見え方が変わることがあります。
行動できないときは、「やる・やらない」を決めるタイミングではないだけかもしれません。
判断を保留にする、という選択も立派な判断です。
一般化された具体例:途中で立ち止まる人の話
ある人は、環境を変えようと決めたものの、準備を始めたところで動けなくなりました。
周囲から見れば「チャンスなのに」と思われる状況でも、本人の中では不安が整理できていなかったのです。
その人は、何か大きな行動を起こす代わりに、毎日ノートに一行だけ気持ちを書くことにしました。
解決策を書くわけでも、前向きな言葉を探すわけでもありません。ただ、その日の状態を記すだけ。
数週間後、状況が劇的に変わったわけではありません。
ただ、「今日は少し息がしやすい」「これは今は無理だ」と、自分の感覚を信じられるようになっていました。
動き出したのは、そのずっと後です。途中には、何度も立ち止まる時間がありました。
まとめ:行動は1mmだけ。無理に前向きにしない
動けない自分を変えようとするとき、大きな一歩を想像しなくて大丈夫です。
必要なのは、誰にも気づかれないくらいの1mmです。
たとえば、
- 今日は責める言葉を一つ減らす
- 決断を先延ばしにすることを許す
- 何もできなかった日を、記録だけ残す
それは「頑張らない」ということとは違います。
自分の状態を正確に扱おうとする、静かな行動です。
前向きになれない日があっても構いません。
止まっている時間も、あなたの人生の一部です。
動けない自分を責める代わりに、
「今はここにいる」と認めることから、すべてはゆっくり始まっていきます。
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